しょぼ資格取得の記録

20代のかなりの時間を資格取得に振ったけど30代でニートになったよ。取得した資格について書いてみようと思います。

はじめに

資格に相当な時間を費やした20代

思い返せば、本当にいろいろな資格を取ってきました。
数えたら30以上ありました。(中学高校のときに取ったものも含めて)
今思えば、本当に無駄な時間だったなぁ、と思います。
いや、そのとき得た知識が完全になんの役にも立たないという意味ではないのですが、、、
しかも取得した資格は、国家資格とか立派なものではなく、運営団体を見ると「?」「知らん」と思うような資格が大半です。完全に趣味の世界です。

「資格を取るための(小手先の)勉強」が身についてしまった

20代で、仕事に関係のあるもの、自分の興味のある分野、いろいろな資格を取ってきました。
その中で得たものといえば、「資格取得のための(小手先の)勉強法」でしょうか。

数ヶ月前から、また新たに資格の勉強をしています。
その中で、気づいてしまいました。
私はその資格の内容が、難しくて覚えられない、テキストがそこそこ膨大、
興味もあまりない(なぜこの後に及んでそんな資格を受けているのか)。
一応、私の目指すものと関連する資格だったので、テキスト・問題集をそろえて勉強を進めています。

しかし、今までいろんな資格を取得してきた経験から、私はつい「資格取得のための勉強」をしてしまいまっています。
どういうものかというと、「問題のパターンを覚えてしまう」というものです。
私のように、「このテキストの内容、全然頭に入ってこないよ〜」と思いながら、問題集だけで(問題のパターンを覚えたりする)勉強してしまうと、内容が頭に入らないまま試験をパスできたりします。
「試験をパスすることが目的」で、試験の内容はさほど重要ではない場合などは、「試験のパターン対策」というものは試験パスのための近道としてすごく有効な手段ですが、ほとんどの場合、試験の内容を理解していなければ、本質的にはその合格は意味がないでしょう。(私のように、半ば趣味でやっているなら、なおさらそうなのです、本来。)
気の短さから、つい「試験対策」をしてしまいます。

勉強のおもしろさは、試験をパスする喜びとは違う

ついやってしまう「試験対策」で得た合格、その喜びは、「物事を学び知識を得る」喜びとは本質的に違います。
試験を受けるのは、本来「おまけ」のような認識で、「知識を得る」勉強をしないと、その後の人生の役に立ちません。
いや、前述したように全く意味がないわけではありません。断片的に残っていた知識がその後活きた、という経験もまぁまぁあります。
しかし「断片的」であって、「たまたまそこの部分を知ってた」にすぎないのです。
私が「依存」のように資格試験を受けまくっていたのは、「〇〇合格」の合格通知で認められていた気になってしまっていただけなのです。
それのために、本来「おまけ」であるはずの合格を得るための内容が身につかない勉強をしてしまい、「知識を得ている」ようなつもりになっていました。

ほとんどの資格は、資格試験運営者のビジネス

資格の勉強をやっている真っ最中にも、そう思っていました。今はいろんなブロガーさんとかネット上の人が「資格は取っても意味ない」ということを発信してますよね。本当に私もそう思います。現に役に立っていないので、完全に「資格コレクター」みたいに、趣味の一環のようになっています。(やめたい)
仕事で命じられて、とか仕事にどうしても必要、というなら話は別ですが。

本当の「勉強」をしたい

私は、そう思っています。
今までの「資格取得のための勉強」を書き綴ろうとは思っていますが、これからは「体系的な知識を自分のものにする」ことを目指していきたいのです。(本当はw)
今までの経験を書いて、誰かが見てなにかを得てくれれば(悪い例としての参考も含め)、と思ったのが、このブログを立ち上げたきっかけです。あと、自分への戒め。w

 



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